長福寺の歴史が1つ明らかに!

長福寺のご本尊様が安置されている須弥壇(しゅみだん)の工事が始まりました。

ご本尊は、秘仏の毘沙門天になりますが両脇に地蔵菩薩と不動明王も安置されている寺院です。

今回、ご本尊が安置されている須弥壇「下の土台」が前方に斜めに傾いており、本尊様が地震等で落下してしまう危険性が出たため須弥壇の上部分を解体し、平らにする工事が行われました。

一旦、ご本尊様には場所を移動していただき工事がスタート

長福寺の須弥壇の解体工事は、現在の長福寺本堂が建立されてから初めてのこととなるはずです。今回修理をお願いした大工さんからも「いい木で、いい仕事をしている」とお褒めの言葉も頂戴いたしました。しかし、中はホコリとネズミが持ってきたであろう木くずやネズミの物らしき糞の後もありました。

以前、本尊様の修復のとき本尊様の体内からもネズミの痕跡…いや、巣みたいなものが発見されていますので、昔ネズミが自由に出入りに使っていたと考えられます。

当時の釘は一本いっぽん手づくりのものです。思っていたより柔らかな素材です。大工さん曰く「当時は鉄が貴重で砂鉄などを固めて作ったものではとのこと。そんな貴重な釘を使っていることなどから、この須弥壇を作った人の本気度が分かる」とのことでした。

そして、一番上の段を解体したときです!

でました~

墨で書かれた文字が‼

何か「出るか」とは期待をしていましたが、本当に出るとは驚きです。

安永5年 西暦1776年 江戸中期に、現住「眞英」代に作成された記述が発見されました。

なんと、今から242年前です。

長福寺の歴代住職の眠る墓地を確認したところ「眞英」住職は長福寺の第15代目のご住職ということが判明。しかも須弥壇を完成された同年の安永5年8月18日に遷化(せんげ)されていました。

須弥壇には「現住」と記されていることから、遷化される前に完成されたものと考えられます。

長福寺には寺伝というものは無く、今までどのような歴史に基づいて寺が形成されたのか知る資料がありませんでした。

長福寺の今までで分かっているものは

〇本堂の屋根改修の時に出てきた、今から180年前の修善記録の木札 写真などは無し

〇本堂の欄間の裏側に彫刻された正徳(しょうとく)2年 西暦1713年の文字 今から305年前

〇無縁仏墓地にある「南無阿弥陀仏」の石碑の年号 暦応(りゃくおう)2年 西暦1339年 679年前

〇長福寺の本尊 木造 毘沙門天立像 平安時代後期の製作 約1000年前

〇木造 不動明王 江戸時代の製作

〇木造 地蔵菩薩 江戸時代の製作

〇そして、今回新たに発見された今から242年前の須弥壇の安永5年

となると、長福寺の本堂は242年前には間違えなく、今の本堂が建っていたということになります。欄間の方が今から305年前ですので古いことになりますが、欄間は外して移動することができますので、旧本堂から現在の本堂に移動もできますので、明確な現在の本堂の建立時期には一致しないと考えていました。

そうすると、ご本尊をお祀りする須弥壇ですし、須弥壇内の作り方からも後付けしたものでは無いと考えられますことから、現在の長福寺本堂建立時期の有力な説とるのではないでしょうか。

242年前の墨字が出てきたことに感謝し、長福寺 第15世 眞英 住職に代々継承していくことをお約束したいと思います。